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イタリア「幻想文学」の一筋の煙の中に(ALIA 1の「イタリアの章」より)

監修:ヴィットーリオ・カターニ

 

ALIAは、イタリア製ファンタジーに属する小説のアンソロジーをも編んだ。一見したところ、当然なことのようだが、むしろ先見的なものと言ってもよい。しかしながら、ほんの数年前まで、わが国の(いわゆる)文化的体制の風土においては、この手の企画は、当惑を誘うか無視される類のものであっただろう。この「ほんの数年前」というのは、20年以内に収まることであり、わが国の国民文学の歴史の中で測るとすると、瞬きする間もないくらいなのだ。

ほんの少し前まで、すなわち、イタリアでは「幻想小説」は、好意的に規格外とみなされた三人の作家の存在を意味していた。その文学的評価については、誰も悪くは言えなかったのだが、ブッザーティ、ランドルフィ、カルヴィーノである。あとは事実上、存在していないも同然だった。発祥時から、SF小説が語られることは、さらに少なかった。この種のものは、1950年代初頭にアメリカからイタリアに紹介され、我々の市場では、売店で売られる大雑把な翻訳の廉価版双書に追いやられていた。とにかくそれらのモチーフは、各々の健全な論理の向こう側で考慮されるようになっていた。

1984年、リナシタ社が、充実した二巻を出版した。

「イタリア夜想曲−19世紀幻想小説」エンリーコ・ギデッティ編

「イタリア夜想曲−20世紀幻想小説」ギデッティ、レオナルド・ラッタルーロ編

ここで取り上げられている作家は、タルケッティ、ボーイト、イムブリアーニ、ギスランツォーニ、ヴェルガ、セラオ、デ・ロベルト、フォガッツァロ、ディ・ジャコモ、カプアーナ、ズヴェーヴォ、ソフィッチ、パピーニ、トッツィ、ボンテムペッリ、マリネッリ、ピランデッロ、モロヴィッチ、サヴィニオ、モラヴィア、バッケッリ、パラッツェスキ、トマージ・ディ・ランペドゥーサ、レーヴィ、ソルダーティ、その他である。既に1980年には「オスカー」モンダドリがギルベルト・フィンツィ編の蓬髪主義(スカッピリャトゥーラ)のアンソロジー「黒の小説集」を出版している。収録されているのは、プラーガ、ロヴァーニ、アッリーギ、ドッシ、ファルデッラなど。

 リナシタ社の編んだアンソロジーは、出版界である種の反響を呼んだ。多くの書評家が驚きを隠さず、彼らの幾人かは好意的な言を述べたが、基本的には途方にくれていた。これらの作品から何を開示しようとしたのだろうか?陽の光りを浴びたイタリアでも、暗い「幻想」小説の伝統があったことを?しかしながら、確かにこれらは統計上且つ歴史上、質の低い、稀にみるような、実体の一例にすぎなかった。要するに、ただ、有名な作家は真面目にではなく暇潰しとして書いたものだけだった。しかしながら、幻想的なものが我々の文化の水平線に存在していたと強調していた人物もいた……そこで、その研究が進み、同時にそれに関わる出版物の数が増えてきたのだ。

 それから何年か経る必要があったが、SF小説の方面においても、何か似たようなことが起こったのだった。2001年に「北イタリア」という出版社から、ジャンフランコ・デ・トゥリッス、クラウディオ・ガッロ編のアンソロジー「サヴォイアの飛行船 イタリアのSF 1891−1952」が出版された。そこで定期刊行物の密度の濃いネットワークの存在が明らかにされた。そして、完全に忘れ去られていたことのだが、そのページに、サルガリ、モッタ、ヤンボー(エンリーコ・ノヴェッリ)はともかくとして、ボンテムペッリ、カプアーナ、チコーニャ、ゴッツァノ、ロッソ・ディ・サン・セコンド、ウゴリーニとその他のあまり有名でないか全く忘れられていた作家による「プロトSF」として受け入れられる作品を見出すこととなった。物語文学は実際には、味わいと構造の点からは未だ19世紀風ではあるが、しばしば幻想文学に迂回し、読みやすく楽しいものとなった。

我々の身に降りかかったのは、実はこういうことなのだ。だいたい30年代から50年代かけて、ジェネレーション・ギャップが存在し、文化的なロボトミー手術が施されるという一種の断層が横たわっていたのだ。(おそらく第二次大戦前の体制と一連の戦争の産物であろう)。イタリアが廃墟から立ち直るやいなや、傷を塗りこめることが始められたが、もはや裂け目は取り返しのつかないもの−容易に癒せるものではなくなっていた。「幻想小説」に関しては、それまでの足跡は見失われ、SF小説に至っては、すべてが忘れ去られた。アメリカから到来したSF小説が物語るのは、もはや我々の言葉とは完全に異なるものだった。SF小説は新奇さで意表をつくものであり、そればかりか、ほとんど不可解ですらあった。それは、我々には未知の出版界の現象で、つまり「大衆小説」として、迅速な組織化が進み、しっかりと特徴づけられていた。我々にはエコーが届くことすらない、テーマ上の極めて今日的な科学の詳細であり、空想力豊かではあるが、もっともらしいテクノ・イノベーションから出発した社会的変貌を推定することが著しく可能だった。イタリア人にとっては絶対的に「エイリアン」である文化的フォームへの言及であり、SF的ではないが、劇的にリアルであるという感覚において……。

しかしながら、このようにわが国の幻想小説とSF小説の作家たちが徐々に活動を開始したという状況だったのだ。

結局、初めのうちは、イタリアのSFは、大西洋の向こうの「大作家」たちの巧妙な模倣をするしかなかった。この時代には、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク(イギリス人ではあるが)、マレイ・ラインスター、ロバート・A・ハインライン、ジャック・ウィリアムソン、アルフレッド・E・ヴァン・ヴォート、フランク・ラッセル、シオドア・スタージョン、ポール・アンダースン、クリフォード・D・シマックその他の、新しいファンにとっては「魔術的」な名前が挙げられる。

イタリアSF小説の歴史において、最初の瞬間から、現在に至るまでけして解決されることのない対立が存在していた。大西洋の彼方の大作家たちの忠実な模倣は、困難で不毛な光景を呈した。科学的論拠−けして特別な共感を得たことはない−の背景に追いやられたある種の「イタリア製」SFは、代わりに、その動機となった個々人の環境と心理を泡立たせたることにより、唯一のもっともらしい選択肢となったのだ。その一方で、我々イタリア人は人文的で倫理的・社会的・哲学的な波及効果に対して熱烈な文化に浸ったことはなかったのだろうか?

この処置は根幹的な「収穫」であり、多くの試みがあり、その中には極めて威厳があり、独創的なものがあったにもかかわらず、出版業界では成功したためしがなかった。今日の状況はどうであろう?「公式」の文化の側が未だに敵意をひきずっていることを、否定することは出来ない。ジャンル内の技術的な問題点の幾つかは、新奇さによって超えられただけで、実はまだ解決されていないのだ。作家たちは、ジャンルとしての小説の形式的で良質な主導権を握った。しかし、むしろ雑種の文化に介入され、雑種ジャンルが付け加わったのでもあった−幻想文学とファンタ・テクノロジーは、(とりわけ)映画、コマーシャルの恩寵により、遂にイタリア人の空想の中に入ってきた。書店には、非現実的な味付けを加えた、幻想文学やSF以外のレッテル付けはなされない本であふれかえった……。

それはすなわち、「ファータ・モルガーナ」、そして「アリア」のような出版物の存在を可能にしたのだった。

「アリア」第一巻に収められた作家たちの幻想の中の作品において、おそらく私が上記で説明した苦悩の道程の要素が見られることだろう。

 

    翻訳:今村夏

 

 

ALIA 1」の「日本の章 」より

監修:マッシモ・スマレ

 

  日本では、幻想文学はあらゆるジャンルにおいて新しい特徴的なパターンが作られるまで、相当に開発されたというのに、その作品はイタリア語に訳されておらず、こちらでは全然知られていないのである。日本のホラー、ファンタジー、童話、SFなどは、世界的に言っても最も豊富な、貴重な文学の一つであるので、正にそういう翻訳不足は真に残念なことと思わないわけにはいかない。 既にクラシックと呼ばれるジャンルの他、エロ・グロ系のようなユニークな特色を持っている文学も生まれており、これらによって作家は人間の精神世界の最も底知れない深遠をも360度にわたって観察している。その上、近頃の京極夏彦氏が作り出した妖怪ミステリ系の場合は、シャーロック・ホームズが使用する推論が、妖怪ハンター並びに妖怪祓いのモチーフと一体となり、その妖怪が人間の中にある暗闇から生み出されたものであるということがついに明瞭にされるのである。さらに、鈴木光司氏(1957年〜)の「リング」(1991年)のようなホラー作品を忘れることが出来ないし、瀬名秀明氏(1968年〜)の「パラサイト・イヴ」(1995年)の科学的なホラー系とは[] リストにはキリがない。上記に記述した作家たちは若いジェネレーションのみである!