前のページ

作家

 
 


山村暮鳥やまむら・ぼちょう)、(1884-1924)群馬県生まれ、本名は土田八九十である。学校を卒業した後で、伝道師となって秋田、仙台、水戸など転任、詩と宗教活動に没頭。1913年『抒情詩集』、『三人の処女』を発刊し、1915年後で『聖三稜玻璃』の刊行によって前衛的な詩で詩壇に反響を呼んだのである。童話・童謡もたくさん書いた。

 

 

夢野久作ゆめの・きゅうさく)(1889-1936)、福岡市に生まれる。本名は杉山泰道であり、玄洋社系の政界の黒幕と言われた杉山茂丸の息子である。慶応義塾に入学した後で中退し、色々な仕事をした。「九州日報」で記者としても働いて作家として数多くの作品を書き、その大作は1200枚の『ドグラ・マグラ』である。


 

 


宮沢賢治みやざわ・けんじ)、(1896-1933)岩手県花巻に生まれる。盛岡中学校を経て盛岡高等農林学校を卒業。中学時代から短歌・詩を作り数多くの童話を書いた。1924年に『春と修羅』を自費出版。同年、童話集『注文の多い料理店』も刊行。


 

 

 


海野十三うんの・じゅうざ)(1909-1948)、徳島市に生まれ。日本SFの始祖となった小説家であり、本名は佐野昌一である。早稲田大学理工科で電気工学を専攻し、逓信省電気試験所に勤務しながら、1928年に小説家としてデビュー。以後で、探偵小説、科学小説、少年小説に関わる数多くの作品を書いた。仮名の丘丘十郎(おか・きゅうじゅうろう)という名でも作品を書いたのである。

 

 

 

太宰治だざい・おさむ)(1909-1948)、津軽の大地主の六男として生まれる。共産主義運動から脱落して遺書のつもりで書いた第一創作集は『晩年』(27年)であり、太平洋戦争のあいだにも創作活動を続けた数少ない作家のうちの一人である。戦後、『斜陽』(47年)は特に大きな反響を呼んだ作品である。


 

 


早見裕司はやみ・ゆうじ)、1961年青森県生まれ、現在沖縄に永住。自称「奇談小説家」。82年「SFイズム」誌でライターとしてデビュー、「アニメージュ」誌のライターなどを経て、88年『夏街道』で小説家デビュー。都市奇談小説を書き続ける。映像ライター、脚本家としても活動。代表作に『精霊海流』「異形コレクション」シリーズ、脚本にテレビ『吸血姫美夕』など。

http://www.hayami.net/